随想 4. 久琢磨先生が大東流と出会った時代(1) 歴史についていろいろと書いてみると、見過ごしていた疑問が目に付いたので、分かる範囲で調べてみました。 ◆大阪朝日新聞 朝日新聞社 大阪本社屋上 中央は植芝盛平先生御夫妻 朝日新聞大阪本社ではなく、先頭に大阪と表記されています。なぜ“大阪朝... 2022.09.19 随想
随想 6. 大東流は同時打ち 今回は、武術の口伝について記してみようと思う。 〽︎交互に叩くは芸者の太鼓 〽︎大東流は同時打ち この唄は、武田惣角師が久琢磨先生や大阪朝日の子弟に聞かせた唄だそうだ。もしかすると、全国各地にも、惣角からこの唄を聞いて伝えている門下の方々... 2022.09.19 随想
随想 5. 久琢磨先生が大東流と出会った時代(2) ◆鈴木商店 久琢磨先生 久先生が朝日新聞社に入る前に勤めていた商社です。社長鈴木よねの懐刀であり大番頭でもあった金子直吉は、鈴木商店を急拡大させた実質の立役者でした。そして金子直吉は久琢磨と同郷の土佐出身です。久先生は、学生時代に金子の援... 2022.09.19 随想