7. 小指の締め

随想

 小指の締めは、主に小手返しなどに要する要領の口伝である。

 確かこの話は、前総務長の森恕先生がある日の稽古中に「君たちの小手返しは、僕が考えている小手返しと違うようなんだが」と、首を傾げたのが始まりだったと記憶している。それで「僕がやっている小手返しは、こうこう」と実技で示してくださった。

 その際に「小指の締めの口伝は知っていますか?」と聞かれた。もちろん、その有名な口伝は既に先輩たちからも聞かされて知っていた。しかし、その当時の理解は、小指の握力を鍛えて、小指を使って相手をしっかり握るのだといった程度のものであった。

 その場にいた生徒たちがやった小指の締めを見届けたあと、森先生は怪訝な顔をされて、「どうやら君たちは言葉は知っているようだが、要領をちゃんと理解していない」と云われ、二人一組になって互いの手首を小手返しに取る稽古が始まった。先生は実際に稽古生の手を取って手本を示し、それでうまくいかなければ生徒の横に並んで、違う、こうなんだ、こう、こう、と相手の手を握らず宙空で手の形と動きを示してみせた。その稽古は、どうも実技の場面と映像が記憶にあるばかりで、説明らしい説明はなかったと記憶している。

 おや?と思ったのは、その森先生の手の小指の特徴を発見したときだった。先生が示す手本の手の小指は曲がっていないのだ。

 手首を握って手本をやってみせるときは、先生の小指は受の手首に沿って柔らかく湾曲しているのだが、宙空で手本を示すときはむしろ真っ直ぐに見える。見間違いか、それともたまたまのことかと思い、よく注意して見ていると、隣の組に行って指導が始まってもまた同じことが起きる。明らかに宙空の手の形は小指がピッと伸びているのだ。

 結局、その日の稽古では思うような成果を得るにはいたらなかった。この後、しばらくはその要領は謎のままだったのだが、大分経ってから重要な事実に気が付いた。それは、小指は握ると締めにくくなる、という現象だ。

 この口伝は「小指の握り」ではなく、「小指の締め」と称している。言葉遊びのようだが、こういった微妙な表現の違いが、実は先人の智恵である可能性を検証する必要があると思う。

 もう少し砕いて整理すると、握る要領で小指を使うと、指先が相手の手首に食い込んでしまう。そのため、何かしようとすると指先は相手の手首に対するテコの支点になるのだ。

 その状態で相手を操作しようと腕を動かすと、小指にテコの働きが起きてしまい、自らの小指は、指先を接点にして全体的には相手の手首から隙間を生じて浮き上がってしまうのだ。すると、かえって相手には力が伝わりにくくなる。悪くすれば単に指先の食い込みの痛みが伝わるだけとなる。つまり、この現象の解決のために武術的な「締め」の要領があると考えられるのだ。

 森先生に手首を取られたとき、その手には皮膚に食い込むような力感はなく、むしろこちらの身体を操作してくる、ピシッと密着した独特の触感があった。そして、手首の関節を極める痛みはなく、小手を操作されて体幹ごと崩され、まさに、あっ、というような間で、腰砕けとなって投げられることが常であった。

 口伝が「握り」ではなく、なぜ「締め」と表現されるのか、締めが果たす機能については、まだ考察の途上である。ひとつ大きなヒントは、森先生が常々言われていた、大東流は小手に施す技の宝庫である、という示唆である。

 ではなぜ小手はそれほど重要なのか、これを解明して伝えていくことがわたしの大事な役目ではないかと思っている。

 さて、小指の口伝があれば、当然、親指に関する口伝がある。

 これはまた後日掲載する。

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