2. 琢磨会で稽古している技

随想
久琢磨先生のご息女陽子さんより資料写真

 はじめに何を書こうか悩んだのですが、まず、琢磨会で稽古している技からはじめてみようと思います。

 琢磨会には、武田惣角、植芝盛平両師が教授した総伝技と、武田時宗先生が制定した初伝技が伝わっています。稽古している方々は、もちろん知っている話ですが、その理解を深める手伝いができればと思います。

 時系列で見ると、戦前に伝えられたのが総伝技で、戦後になって整理され制定されたのが初伝技です。
 総伝技は、久琢磨先生が大阪朝日新聞社で両師から教授された技の写真に解説を書いて編纂されました。九巻に、一般にはそこからの抜粋を再編した二巻も合わせて全十一巻と称しています。掲載されている技は五百四十七手。一から六巻は植芝盛平先生、七から九巻が武田惣角先生の指導技です。(更に写真に撮らなかった技もあるそうです)
 初伝技は、武田惣角の御子息 武田時宗先生が制定されました。より正確に言うと、惣角が発行した「大東流柔術秘伝目録」を発展させて、「大東流合気柔術秘伝目録」として、名前を付けた百十八本の形を分類して一から五箇条に体系化されました。
 これもよく知られた話ですが、不思議なことにそれまで大東流には明確な名前がついた形が伝わっていませんでした。これが修行者を悩ませるのだ、と、先代総務長の森恕先生が嘆いておられたくらいです。大東流の形と名前を整理されたのは画期的なことで、その後の稽古のしやすさと大東流の稽古人口の増加につながる、時宗先生の大きな功績です。

 伝え聞くところでは、形の制定には何年もかかったそうです。5年とも8年とも、またもっと長くかかったとも聞いています。推定でしかありませんが、多分、着想を得た時から数えるのか、本格的にまとめ始めてから数えるのかなどで変わるのでしょう。また、稽古を重ねて検証し、洗練されていく過程もあったと思います。ご本人にとっての時間がとても長かったということなのかもしれません。

 ちょっと補足すると、徳島の蒔田完一先生が時宗宗家のおられた網走の大東館に通い、また宗家も徳島に指導に訪れ、そのようにして宗家が初伝技を教えてくださったそうです。
 蒔田先生は、久先生と同門の中津平三郎先生の門下生です。中津先生が亡くなられた後、久先生に師事されました。宗家との交流が本格化するのは、ご高齢の久先生がお子様がいる東京へと移られた昭和四十三(1968)年頃のことだと聞いています。この辺りの経緯は、断片的に聞いた話や、古い資料を頼りに書いているので、誤りがあるかもしれません。その場合は随時訂正してまいりますのでご容赦ください。

 時宗伝の稽古には、中津門下生が多く参加され、その中には蒔田先生や千葉紹隆先生、大西正仁先生などがおられます。他にもわたしがお会いしたことがある先生だと、木村和雄先生や井澤将光先生のお名前もあるようです。
 交流が深まるにつれて、宗家から大東館四国本部と認められるほどになりました。当時の大東館の資料によると四国本部長が今井敏勝、小松島支部長が蒔田完一となっています。

 また久先生も時宗宗家と懇意にされていました。昭和十四(1939)年の久先生の免許皆伝の際には、惣角と若き時宗先生の三人で記念写真を撮られています。また、久先生も大東館では本部長として役員に名を連ねていました。
 そういった環境だったので、この頃、宗家は四国に行けば必ず関西に来て講習会を開いたそうです。(ちなみに、まだこの頃は琢磨会はなく、久先生の門弟は、関西合気道倶楽部として稽古していました)
 蒔田先生に少し遅れて、岡林良一師範が網走に約一か月移り住み、その後は網走詣と称するほど時宗宗家の元に通って本格的に稽古を重ねます。時を前後して小林清泰先生をはじめ若き日の琢磨会を創設した先生方も、宗家のおられた北海道や植芝先生のおられた東京など、惣角の系譜を求めて武者修行に訪れています。

 とは言え、多忙な時宗宗家から初伝百十八箇条すべてを学ぶことは難しかったようです。代わりに、宗家高弟の鈴木新八先生が、詳しく指導してくださったと聞きます。こうして、蒔田先生と岡林先生が中心となって久門弟、すなわち後の琢磨会に本格的に初伝技が導入されていったのだそうです。

 やがて、昭和五十(1975)年に琢磨会が結成されます。名前を提唱したのは徳島脇町の千葉先生だったというのも有名な話です。

 当時の写真には、久先生、蒔田先生、森恕前総務長、天津裕先生、小林清泰先生、川辺武史先生他が一緒に写っておられるものもあり、関西と四国の交流が盛んだったことが窺えます。また昭和六十(1985)年に岡山で行われた第九回日本古武道演武大会では、大東流からは森恕先生と蒔田先生が演武されています。
 
 歴史に係ることは、知らないことがまだまだあります。
 こうやって情報を調べて発信することで、また違う新しい情報や、見聞きした話の勘違いや誤りなども明らかになると思っています。
 この稿も、もしかすると訂正や補稿する可能性があるので、ご了承のほどを。

 ここから先の、総伝と初伝のもう少し掘り下げた話は別の稿で進めます。