1. ホームページの開設に当たって

随想
前列左から 小林清泰、小林高士、天津裕、久琢磨、森恕

 わたしにとって、まったくはじめてのホームページ開設です。ここに掲載した記事は、どの記事も琢磨会の古い会報や稽古手帳から引用して掲載しました。琢磨会をつくった先生方が、今のわたしなどよりも若い頃から書き綴られた、たくさんの記事を参考にしました。
 今さらですが、貴重な記事を数多く残してくださった先生方に感謝を申し上げます。

 幾つかの記事を読み比べていると、どの先生の記事なのかは文章のリズムや言葉選びから分かります。まあ分かると言っても、だいたいですので、よく分からないものもあります。
 顧みると、われわれが稽古している大東流の形がちょうどそんな感じだなと思います。
 もっともこの喩えは、門外の方には分かりにくい話かもしれません。
 この分かりにくい話を、ちょっとずつ掘り下げて行ければと思っています。そのために、自分の言葉で書こうとしているのがこの随想です。

 かなり大まかな分類ですが、琢磨会には、植芝盛平先生が植芝守高と名乗っておられた頃に教えた技と、流祖とも言うべき武田惣角先生が伝えた技があります。そしてさらに惣角師の御子息 武田時宗先生が制定したいわゆる初伝技が伝わっています。
 もっとざっくり括ると、前者ふたつはわれわれの間では総伝技と呼ばれています。昭和の初めに武田・植芝両師から伝えられた技法群は、久先生を初めとする当時の大阪朝日新聞本社の社員の手により記録、保存されました。実はこの記録以外にも写真に撮影しなかった技が伝えられており、それらも含めて総伝技と呼んでいるのだと聞いています。この辺りになると、きちんとした定義があるのかわたしにもよく分かりません。(単なる勉強不足かもしれませんが)
 そして、これはあくまでわたしの推測ですが、今の琢磨会には、後年になって植芝先生が興された合気道からの技も逆輸入されて継承されているのだと思います。
 つまり、われわれは総伝技、初伝技、そして合気道の技を有機的に稽古している、と言えばちょっと高級な感じに聞こえますが、どちらかと言うと楽しいからあれもこれもでワイワイガヤガヤ稽古してきた、というのが琢磨会なのではないかと思います。

 これから書こうとしている随想では、この辺りの整理も試みたいと思っています。
 拙い筆ですが、何か道を志す人の役に立てばと思います。それに何より、自分自身のためでもあります。
 つまり、こういった体術について文章を書くことは、稽古を怠らぬことと、常に考えて意識を高く持つことにつながると思うからです。
 実際に稽古をしてきての感想は、総伝技は個々の技としてではなく、むしろ技法群やジャンルとして捉えて、そこに通底するエッセンスを追究していくと、大東流の、より深い理解につながっていきそうな予感を持っています。
 もっとも、まだそこまでの稽古量に達していないので、わたしが書く随想はあくまで私的な思索です。非公式なつぶやきとぼやきなので、愚考をご笑覧いただければと思います。

琢磨会 総務長 小林明彦

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