8. 大東流武田老先生より免許皆傳を授与さる

随想
中央 武田惣角、左 久琢磨、右 吉村義照、後中央左 中津平三郎 朝日新聞社 大阪本社屋上

 まだ森恕前総務長がお元気だった頃に、久琢磨先生のご息女陽子さん宅を森先生ご夫妻と会員のY氏と共に訪問したことがあった。そのとき、久先生の日記を見せていただき、久先生が武田惣角先生から免許皆伝を授与された昭和14(1939)年3月26日のページを写真に撮らせていただいた。陽子さんが、「父ったら後半に書いているのは宴会の話で」と苦笑されていたのが印象に残っている。ちなみに、この日は日曜で六曜は先勝である。

久琢磨先生の日記より
久琢磨先生の日記

 不勉強で変体仮名に分からないところもあるが、日記を現代仮名にしてみた。

大東流武田老 / 先生より免許皆 / 傳を授与さる / 午廾(?)ニ時よりニユウス(ニュース?) / 午廾(?)三時より㐂代(きよ)の / 祝の為の同伴北野 / 波勢(はぜ)へ

 㐂代は久先生のご息女喜代子さん、北野波勢とは神戸北野の料亭であろうか。

 時代はこの二年前の昭和12(1937)年に日中戦争が始まり、二年後の昭和16(1941)年には太平洋戦争へと拡大する、あまり明るくない世相だったのではないか。余談だが、久先生は日中戦争の前後に兵役で上海辺りに居られたと聞く。おそらく日支事変の頃に徴兵されて配属は陸軍だったようなのでニ年間の兵役だったと思われる。まだ比較的安全な時期だったので、駐屯先では戦闘に遭遇することもなく退役したと聞いたことがある。またこの翌年には、もう一人の師 植芝盛平先生が後の合気会の前身となる皇武会を設立する。そういった頃の日記の1ページであると思うと感慨深い。

 なお、惣角先生と久先生が免許皆伝の書状を持って並んだ記念写真は、日をあらためて同じ年の5月に撮影されたようである。

武田惣角、久琢磨 師弟の記念写真
武田惣角 久琢磨 師弟の記念写真
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