武田 惣角(一八六〇〜一九四三)

 大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角源正義は、万延元年(1860)10月10日福島県会津坂下町に武田惣吉の次男として生まれた。幼少の頃より家伝の武術の手ほどきを受け、剣は会津坂下町の渋谷東馬に就いて小野派一刀流を学び、更に各地を武者修行し、明治6年(1873)には、幕末の剣士・直心影流の榊原鍵吉の内弟子になり修行を積んだ。

 明治9年(1867)兄・惣勝の死により、武田家神職を継ぐことになり、福島県東白川郡都々古別神社宮司保科近悳(西郷頼母)を訪ね、神宮見習いに入るが、九州の西郷軍への参加を決意し、武芸一筋の人生を歩むことになる。

 その後、惣角は武者修行に出て全国を行脚し、明治12年7月鵜戸明神(宮崎県)で参籠祈願をしている。明治31年、惣角は霊山(りょうせん)神社に参詣し、同社の宮司となっていた保科近悳と再会している。近悳は、再会を喜び、惣角に大東流および小具足を教授し、「しるや人川の流れを打てばとて、水に跡あるものならなくに」と記し、「もはや剣の時代ではない。これからは大東流合気柔術を後世に伝えてゆけ」と諭した。その後、惣角は大東流合気柔術と小野派一刀流の二流をもって全国を巡回指導して歩いた。武田惣角の英名録と題する門人帳には、西郷従道大臣をはじめ、将校、裁判官、警察署長など、明治、大正、昭和にわたり、有識者や著名な人物が署名捺印をしており、惣角の武芸の実力を窺い知ることができる。

 昭和18年4月25日青森で客死するまで、他流を含めた数々の仕合に負けたことがなく、これらに関して各地で多くの逸話を残している。享年八十六才。